台湾旅行での新たな視点を発見

イントロダクション

「自分は本当に、たった一人で境界線を越えられるのだろうか」。

初めての海外旅行を前にしたとき、多くの人が抱くのは、期待よりもむしろ足元が覚束ないような不安かもしれません。2024年6月4日から8日までの5日間、私は台湾の国立台南芸術大学でのセラミック研修に参加しました。

初めて手にしたパスポート。慣れない異国の地。しかし、そこで待っていたのは、デザイン的なインスピレーションと人間的な温もりに満ちた、ポジティブな刺激の連続でした。本稿では、文化探究家としての視点から、この4日間で得た「5つの予想外な発見」を紐解いていきます。

1. 「生身」のパスポートが教えてくれた、デザインの真価

旅の始まりは、出発当日の朝5時。前日まで一向に準備が進まなかった私は、パニック気味に荷物を詰め込み始めました。「何か忘れているのではないか」という焦燥感に突き動かされ、近所のダイソーへ駆け込んでメモ帳とパスポートケースを購入しました。

しかし、いざ戦場とも言える空港に降り立つと、ある事実に気づかされます。チェックイン、手荷物検査、出国審査……。パスポートは常に提示を求められ、そのたびにケースから出し入れするのはあまりに不合理でした。結局、最も機能的だったのは、何の飾りもない「生身」のパスポートだったのです。

デザインや道具の価値は、静止した棚の上ではなく、実際の使用現場(コンテキスト)という荒波に揉まれて初めて証明される。その教訓を、岡山空港の手荷物検査場でも痛感しました。カバンの奥に紛れ込ませていたハサミが発見され、検査官に止められた2分間。周囲の視線を浴びながら、私は自分が国際的な「悪者」になってしまったかのような、耐え難い申し訳なさに包まれました。道具が文脈を外れたとき、それは牙を剥く。旅の洗礼は、そんな小さな失敗から始まりました。

2. 時速100kmの「日常」。台湾のタクシーで見た縦型動画の衝撃

台北から台南へ。新幹線を降り、大学が手配してくれたタクシーに乗り込むと、台南の鮮やかな景色が時速100kmのスピードで窓の外を流れていきました。しかし、私の目を釘付けにしたのは景色ではありませんでした。

ふと運転席に目をやると、ハンドルを握る運転手の視線の先には、スマートフォンで再生される縦型のドラマ(ショート動画)があったのです。

「絶対日本だったら捕まるしやってる人も少ないだろうなと思ってそこでもうカルチャーショック」

ハイテクな高速道路を突き進むプロフェッショナルな運転と、その傍らで流れるあまりにカジュアルでローファイな娯楽。日本の厳格な交通倫理からすれば考えられない光景ですが、そこには現地の「リアルな日常」が凝縮されていました。境界線を越えるとは、単に場所を移動することではなく、自分の中の「当たり前」を解体し、現地の熱量に身を任せることなのだと教えられた瞬間でした。

3. 30分間の格闘と「福」の文字。言葉の壁を溶かす漢字の力

研修2日目、メインイベントである「楽焼(らくやき)」の制作が始まりました。当初は凝ったデザインを構想していましたが、慣れない環境と焦りから私の思考は完全にフリーズ。パニックの末に、私は最もシンプルな「円柱のコップ」へ方針転換することを決めました。

しかし、ここでも試練が待っていました。粘土を成形する際、あろうことか型につけたままバナーで炙ってしまい、粘土が型に固着してしまったのです。困り果てた私を救ってくれたのは、現地の学生たちでした。

彼らは嫌な顔ひとつせず、20分、30分と時間をかけて、こびりついた粘土を剥がす作業を手伝ってくれました。言葉が完全には通じない中、滴る汗と申し訳なさ、そして深い感謝。その交流を経て完成したコップの表面に、私は「福」という一文字を刻みました。

幸福を願う「福」の字。日本と中華圏が共有するこの漢字は、パニックに陥った私の心を鎮め、学生たちとの間に温かな橋を架けてくれました。デザインにおいて「共通言語」を持つことが、いかに強力なコミュニケーションツールになるか。陶磁器が繋いだのは、土と炎だけでなく、人と人の心でした。

4. 台湾の若者が示す「世界標準」。国を挙げた英語教育の本気度

研修中、最も圧倒されたのは台湾の学生たちのコミュニケーション能力です。彼らの英語スキルは極めて高く、国を挙げて英語学習に取り組んでいるという背景を後で知り、深く納得しました。

一方で、私は自分の言葉が出てこないもどかしさに、強い悔しさを覚えました。彼らが世界を舞台に見据えているのに対し、自分はまだその入り口で立ち止まっているのではないか。しかし、この焦りはすぐさまポジティブなエネルギーへと変わりました。

言葉が通じれば、チャンスの数は指数関数的に増えていく。今回の旅で魅了された中国語、そして共通言語としての英語。これらを武器として磨き上げ、もっと多様な人々と対等に語り合いたい。台湾の学生たちの背中は、私に「学び続ける理由」を鮮明に示してくれたのです。

5. 異文化に溶け込む「鏡」としての旅。現地人に間違われて見えた自分

今回の旅で最も愉快だったのは、私が何度も「台湾人」に間違われたことです。機内でもショッピングモールでも、店員さんは私にだけ、淀みのない中国語で話しかけてきました。

あるショッピングモールでのこと。店員さんに中国語で捲し立てられ、私は意味が分からぬまま、咄嗟に「I don’t know」のようなニュアンスで「バイカード(Bye card)」と支離滅裂な返答をしてしまいました。後で気づけば、店員さんは単に「免税のためにパスポートを出してほしい」と言っていただけだったのです。

私の「ニーハオ」の発音が妙に現地に馴染んでいたのか、あるいは私の佇まいがその場の空気に溶け込んでいたのか。言葉の壁にぶつかりながらも、現地の人に「同胞」として受け入れられる体験は、異文化との境界線を曖昧にしてくれる心地よいものでした。旅とは自分を探すものではなく、他者の視線という「鏡」を通して、まだ見ぬ自分に出会うプロセスなのかもしれません。

結び:扉の向こうにあるチャンスを掴みに行く

初めての海外旅行は、パニックと失敗、そしてそれを遥かに上回る優しさと発見の連続でした。「なんとか乗り越えられた」という確かな手応えは、私の中に一冊のパスポート以上の、精神的な自信を刻み込んでくれました。

物理的なパスポートを手に入れた今、私の前には世界へ続く無数の扉が開いています。言語やスキルの壁は依然として高いかもしれませんが、その向こう側には、想像もつかないような出会いと可能性が待っています。

あなたの次の「初めて」は、どこに繋がっていますか? スキルの壁を恐れず、その向こう側にある新しい世界への扉を開ける準備はできていますか? 私はもう、次の旅へ出る準備ができています。

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